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L.v.ベートーヴェン 交響曲 第5番 ハ短調 op.67「運命」(1)/アルトゥーロ・トスカニーニ(1939(L)/'52(L)/'20)/HPより移行中

L.v.ベートーヴェン 交響曲 第5番 ハ短調 op.67 「運命」は1805-08年にかけて作曲され、1808年アン・デア・ウィーン劇場にて第6番「田園」と共にベートーヴェン自身の指揮により初演されたとあります。

第1楽章、第1主題の動機について作曲者自身が「運命はこのように戸をたたく」と語ったと伝えられることから「運命」の通称で呼ばれる。(中略)
ただしC.チェルニーによれば、この動機はキアオジ(鳥)の鳴き声にヒントを得て作られたものであるとあります。
(引用 : クラシック音楽作品名辞典/三省堂)


前書きとして、私の師匠である門田英敏先生の記されたトスカニーニについての記述(2000年当時)を掲載させて頂くことにします。

"今でこそ、当初トスカニーニ風だといわれたカラヤンの60年代の演奏やガーディナーによるピリオド楽器による演奏などによってトスカニーニがなした事の偉大さを忘れがちですが、日本に於いてフルトヴェングラーやメンゲルベルクなど当時本場ドイツで主流であった演奏に慣れ、また陶酔していた時代にあって、彼の演奏解釈が如何に独特のものであったか推し量るには現代とは逆であったと言える当時の演奏における主流も知らなければなりません。

ただ、ベートーヴェン本人の指揮は古典派の時代にあって飛び上がったりしゃがみ込んだりと、とても主観的であったという記述も残されています。

トスカニーニからでしょうか?最初の2つの"運命の動機"を重々しく意味を持たせて膨らませる事などせず、楽譜に書かれた音符からのみ美しさを抽出しようという試みがなされたのは。

実際フルトヴェングラーはスコアの最初の"休符"を省いていますが、トスカニーニはきちんと守り、その事により最初の休符の無音の意味を出現させています。

また指揮も一小節を2拍で振る事が通例だった当時、1拍で振ってオーケストラが戸惑い2拍で慣れた彼らは最初ついて来れなかったとあります。

ただ、ひと頃言われていたような「トスカニーニは楽譜に忠実」というのは、結構アゴーギクも多用され一部に手を入れるなど、最近では見直されようとしていますが、当時は異端であった演奏が、何と現代の主流になっているのですから時代の流れというのは本当に移ろいやすいものだと深く認識した貴重な体験でした。

彼の遺した言葉で、私自身は完全に信じる、或いは共感するものではないのですが「伝統とは最も新しい、ひどい演奏以外の何ものでもない」が印象に残っています。

ギタリスト、アンドレス・セゴビアはアメリカに居た時に彼と親交を深めバッハの"シャコンヌ"を弾き「ヴァイオリンで演奏されるシャコンヌよりもギターのものを好む」とトスカニーニ本人に言わせたと伝えられています。自分とは全く逆を行くセゴビアの良さも分かる彼は膨大なレコード・コレクター(ジャズも含む!!)でもあったと聞きます。"

先生のレッスンと記事により、私はまず買おうとは思わなかったであろう遥か昔のトスカニーニとフルトヴェングラーへの強い興味を持つきっかけを頂きました。

※各アルバムに張り付けてあるバラ飾りは"Oberholster VenitaによるPixabayからの画像"を使用させていただいてます。



トスカニーニ/ベートーヴェン : 交響曲 第5番「運命」 1939
アルトゥーロ・トスカニーニ指揮/NBC交響楽団 (1939年ライヴ録音)
第1楽章 7:23 / 第2楽章 9:47 / 第3楽章 5:09 / 第4楽章 9:07


トスカニーニ/ベートーヴェン : 交響曲 第5番「運命」 1952
アルトゥーロ・トスカニーニ指揮/NBC交響楽団 (1952年ライヴ録音)
第1楽章 7:18 / 第2楽章 9:00 / 第3楽章 4:38 / 第4楽章 8:31


トスカニーニ/ミラノ・スカラ座管弦楽団 1920-21 アコースティック録音
アルトゥーロ・トスカニーニ指揮/スカラ座管弦楽団 (1920年アコースティック録音)
第4楽章 : 8:47


第1楽章
まず最初に、私はこの「運命」においてトスカニーニの演奏はどの楽章も52年盤より演奏時間が長いのに速くさえ感じさせる39年盤の演奏の熱さ、押しの強い勢いが好きだと述べておきます。
この盤はSPからの復刻らしいですが、このリマスターでの音はとても素晴らしいものです。

ピリオド演奏のガーディナーが快速でいながらも極力色付けをせず聴かせる現代感溢れる魅力とは違い、トスカニーニは快速ではありますが、そこには力でねじ伏せる事も、フレーズを歌わせる事もいとわない、自分が必要だと思うことは確実に表現するという強い意志が色濃く見えます。

フルトヴェングラーの色濃さは格別のものですが、それは絵画では印象派以降の、目に映るそのものではないもの、時としてついて行けないほどのほとばしりを私は感じる事もあるのですが、対してトスカニーニのものはギリシャ彫刻に見るような確固とした造形を感じさえします。

これらの事はどちらが好きではなく、私にとっては音の厚みとかは遥かにフルトヴェングラーが好きであり(「英雄」の出だしは彼のような音を出せる指揮者には未だ出会っていません、ただし大きな感動と共に疲れる事も事実です)、トスカニーニはその推進力と歌に虜になるのです。
ですから、ここで私の好きなトスカニーニの演奏は、より推進力の感じられる39年盤なのです。

第2楽章
第2楽章になって、39年盤の良さがより際立ってきます。52年盤もとても素晴らしい演奏で、この39年盤を知らなければそちらが好きになっていた事は間違いありません。

それは39年盤に漂う卒業式のような厳かさ、揺るぎなく着実に歩を進めると言ったら良いのでしょうか、また、そこに歌われる旋律の美しさがひと際耳に快いのです。

こういったイン・テンポに近い指揮はメンデルスゾーンからの流れであると聞きましたが、師匠の記されたベートーヴェンの指揮の様子からは、果たして彼の意図した演奏とはどういうものだったのだろうと非常に興味を持つのです。

第3楽章
フルトヴェングラーのこの作品の最大の魅力は私にとっては第3楽章から最終楽章への唯一無二のなだれ込みなのですが、トスカニーニは一気に駆け込み第4楽章頭で煌めく魅力を持ちます。

この楽章は39年盤と52年盤とでは何と30秒というとても大きな速さの違いがありますが、その流れはどちらも違いとして感じられないほどの勢いを持っていますからあまり感じないと思います。

第4楽章

ここではスカラ座オーケストラとの古い録音も加わってきます。(流石にトゥッティでは弦が金管にかき消されてしまいますが)
それらの3つの盤を聴いての感想は、この楽章の音の重みとか全体の仕上がりは52年盤が優れていると感じます。

結局私にはトスカニーニはどの盤にも当たり外れというものが無いくらい完成度が高いので(強いて言うとベートーヴェンのピアノ協奏曲 第1番・第4番が<多分ソリストとトスカニーニがかみ合わなかったのではと思われ>あまり良いとは思えませんでしたが)購入する時に迷う必要はない安心感を持っています。

まとめ
私の世代では余程調べないと知る事もなかったであろう情報が師のお教えや記されたHPには沢山あり、羅針盤のように道を指し示し、新たな音楽の世界へも誘い続けてくださっています。
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