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L.v.ベートーヴェン 交響曲 第5番 ハ短調 op.67「運命」(2)/ウィルヘルム・フルトヴェングラー(1947.5.25(L)/'47.5.27(L)/'54)/HPより移行中

フルトヴェングラーはその独特の指揮法により縦の線をわざとにずらせて音に厚みを得るという記事も見かけたりします。

確かに今回の2枚のライヴ演奏(1楽章のみの録音も合わせると3枚)を聴く限り、奏者にはジレンマ、トラウマになる程のタイミングの難しさが露呈しています。

それでもフルトヴェングラーのベートーヴェンはとても大きく深い宇宙を感じさせる特別な世界を持つと信じる私がいます。

※各アルバムに張り付けてあるバラ飾りは"Oberholster VenitaによるPixabayからの画像"を使用させていただいてます。



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ウィルヘルム・フルトヴェングラー指揮/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 (1947年5月25日ライヴ録音)
第1楽章 8:14 / 第2楽章 10:36 / 第3楽章 5:48 / 第4楽章 8:00


フルトヴェングラー/ベートーヴェン「運命」 1947.5.27
ウィルヘルム・フルトヴェングラー指揮/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 (1947年5月27日ライヴ録音)
第1楽章 8:04 / 第2楽章 11:11 / 第3楽章 5:51 / 第4楽章 8:13


フルトヴェングラー/ベートーヴェン「運命」 1954
ウィルヘルム・フルトヴェングラー指揮/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 (1954年録音)
第1楽章 8:31 / 第2楽章 11:14 / 第3楽章 5:59 / 第4楽章 9:40


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ウィルヘルム・フルトヴェングラー指揮/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 (1926年10月16日ライヴ録音)
第1楽章 6:22

第1楽章
1947年5月25日と27日というわずか2日の違いで、その演奏が大きく異なるものとなっていることにまず驚かされます。(雰囲気は紛れもなくフルトヴェングラーなのですが)

名盤と言われる27日のグラモフォン盤では全体が25日盤に比べると、なだらかに大きなうねりとなって統一されていますが、25日盤では押し出しの強いものとなっています。

25日盤について詳しく記しますと、最初の2つの動機(ダ・ダ・ダ・ダーン)の最後の長音を大きなクレッシェンドで膨らませながら急に音を切る(消音する)処理がなされていて、その性格付けは非常に強力です。
また、縦の線が揃っているのも25日盤の魅力です(私には)

グラモフォンの27日盤で些細なことではありますがよく言われる木管のフライングが25日盤ではホルンのフライングという形で見受けられますが、それだけフルトヴェングラーの指揮に合わせることの難しさが事実であったことが分かるようです。

また、どちらのライヴ盤も(3枚)フルトヴェングラーは足でリズムを刻み、声まで出して指示を出す彼の実演の様子が現代でも窺えるのはフルトヴェングラーを知るには貴重ではないでしょうか。

単一楽章のみですが26年盤では録音の制約でしょうか、演奏時間がフルトヴェングラーとしてはとても速いもので2分余りも短くなっているのですが'47年のライヴ盤に見る粗もなく驚くほどの集中力の高さで響くこの演奏が好きです。

スタジオで録音されたウィーン・フィルとのEMI盤は今までの3枚とは違い音楽が個性を残しながらも整って威厳さえ感じさせる素晴らしいものになっていると思います。
全楽章を通して私の好きなフルトヴェングラーの「運命」はこの54年盤なのです。

第2楽章
ライヴ録音での第1楽章では25日盤と27日盤では、私は27日盤に比べ幾分縦の線が揃った紋切り型なところも感じられる25日盤が好きですが、こと第2楽章になると断然27日盤の大きな世界観の中で時に爆発のような瞬発力を持ち、会場の空気感まで変えて支配してしまったような、まさに一期一会のような演奏に魅了されてしまいます。そこにある歌のなんと心に強く訴える求心力を持つ事でしょう・・。(師匠の言葉をお借りすれば、この演奏には麻痺させる毒がある)といったところでしょうか。

54年盤では確かにライヴのような神がかり的な渦巻くカオスこそ影を薄めていますが、フルトヴェングラーは一瞬の閃きを盛り込みながらも全体の構成へとその舵を切った、活きた音楽なのに整った魅力を感じました。

ですからこのスタジオ録音は、その後の規範となるような「運命」の一つの礎を示したものだと感じています。

第3楽章
私はフルトヴェングラーによる「運命」の場合は、この第3楽章と続く第4楽章を一つとして捉えるのですが(実際に第4楽章でも第3楽章への行き来があり、この二つは夫婦のような深い関連性を持つものだと思っています)

この2つのライヴ録音を聴いていると、そこに唯一無二の、フルトヴェングラーにしか成し得ない壮大な宇宙を感じるのです。

スタジオ録音では遅く、大人しすぎるのではと思わせる重いリズムの刻みから徐々に、そして不思議かつ絶妙なタメを置いて一気に最終楽章へなだれ込むカタルシスがあり、きちっと計算された仕掛けがこの演奏に秩序と統一とをもたらした稀有の名演になっているのだと感じます。
ですからこれをライヴでのフルトヴェングラーと比べ物足りないと感じるかどうかはもはや個人の感覚によるものだと私は思います。

第4楽章
前楽章で述べた通り、ここでの違いはライヴかスタジオかという熱気の違いと、フルトヴェングラー自身の少し端正になった演奏への志向による違いによる好みの差であり、私は熱く聴きたければライヴ、どっしりと腰を据えて第5の深淵さを聴きたければスタジオ録音と、その時に応じて聴き分ける選択肢を残してくれた事にむしろ感謝しています。

苦悩から歓喜へ、ここでフルトヴェングラーは日常の鬱憤を一身に引き受け解き放ってくれるようです。

まとめ
ベートーヴェン演奏に関して、フルトヴェングラーという指揮者の物凄さに好き嫌いこそあれ異議を唱える人はいるのでしょうか。

「運命」はフルトヴェングラーを"ベートーヴェンの権化(化身)"といわしめた、20世紀前半に実在した大指揮者に出会える入り口ではないでしょうか。

しかし、そんなフルトヴェングラーもバッハの管弦楽組曲やブランデンブルク協奏曲(第3番・第5番(ピアノの弾き振り))、マタイ受難曲(全曲)などを聴くと決してオールマイティーな指揮者ではなかったと感じたことも事実です。
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Author:よしな
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