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L.v.ベートーヴェン 交響曲 第5番 ハ短調 op.67「運命」(3)/ブルーノ・ワルター(1958)/HPより移行中

私はワルター晩年の慈しむように歌わせながらも古典派のスタイルのような均整の取れた演奏に魅かれています。

最初に彼の演奏に触れたのは、ご多分にもれず「田園」が聴きたくて買ったこの盤からなのですが、マーラー「巨人」の演奏スタイルにもその後強い感銘を受けた事は言うまでもありません。

戦争がもたらした苦悩の末に彼の辿り着いた音楽は、その過程において変化していったというのも多く遺された音源から感じられ、その時々のワルターの心中に思いを馳せる私がいます。

※各アルバムに張り付けてあるバラ飾りは"Oberholster VenitaによるPixabayからの画像"を使用させていただいてます。



ブルーノ・ワルター/ベートーヴェン : 「運命」・「田園」
ブルーノ・ワルター指揮/コロンビア交響楽団 (1958年録音)
第1楽章 6:25 / 第2楽章 10:50 / 第3楽章 5:47 / 第4楽章 9:37

第1楽章
激しい動機を伴うこの作品において個性の強い演奏がひしめく中、ワルターはその整った穏やかさにおいて隠者のような存在だと勝手に思っています。

決して穏やかなだけでなく、激しく吹き荒れ低くうなるように慟哭もしているのですが、ワルターが常に旋律を歌わせる端正な運びが個性の強い第1楽章のインパクトを薄めてしまうと感じる事もあります。

モントゥーのようにバッサリとやってくれるほうがこの楽章に於いては良かったのかなと思ったりもしますが、フルトヴェングラーの激しい演奏を聴いた後などではワルターの「運命」にはほっと安心させてくれる良さを感じるのも事実なのです。

第2楽章
心を込めて常に歌う、ワルターの「運命」が愛おしく感じる素敵な第2楽章だと思っています。
ワルターが人生の様々な出来事を経て辿り着いた晩年の想いが音になって語られるように、それぞれのフレーズが余韻を残しながら淡々と歩むように運ばれるチャーミングさはワルターのみが持つ大きな魅力なのだと信じて疑いません。

第3楽章
ワルターがニューヨーク・フィルを振っていた頃はとても熱い感情を発露させた演奏もしていたと思うのですが、コロンビア交響楽団との晩年の演奏では端正さが増し、噛めば噛む程味が出るようなコクが増したように感じる反面、ベートーヴェンでは(奇数番号に当たるのですが)勢いや激しさが薄れたように感じたりもします。

この第3楽章がそうで、滑らかに歌う旋律がもう少しハッキリと発音されていれば、全体がもっとキビギヒと引き締まっていたなら(実はどこを取っても丁寧にしっかりと鳴らされているのですが)と感じてしまう時があります。

もしかすると、それはフルトヴェングラーやクライバーのような熱くたたみかける演奏を聴き慣れたせいなのかも知れませんし、ベートーヴェンの「運命」そのものが激しさを要求しているのかも知れません。

しかし、この大袈裟に膨らませず心を込めて運ぶスタイルこそがワルター晩年の良さなのかも知れませんね。

第4楽章
私の中にあってベートーヴェンは当時としては激しい、例えばゲーテをもってして「なんとうるさい音楽だ、まるで天井が落ちてきそうだ」と言わしめた異端児であったと思うのですが、ワルターの「運命」に関してはもっとはじけて欲しいという、そんなもどかしさを感じてしまうのです。

ですから、苦悩から歓喜へは感じず、最初から温かい部屋にいるような違和感を覚えるのかも知れません。
しかし、私が人生の晩年を迎える時には、ワルターのこの端正さや温もりが丁度良いと思えるのかも知れません、ワルターがこの「運命」を良しとしたように。

もしかするとワルターは晩年になってその人生で味わった苦悩に敢えて触れることを避けたのでしょうか・・、それとも「これで良きかな」と全てを受け入れたのでしょうか・・。

まとめ
ワルターの「運命」に関して私の感じる事を記しました。
しかし、同じベートーヴェンのチクルスで第2・4・6番「田園」、そして第9番「合唱」の第3楽章の飛び抜けた素晴らしさを知る私は、ワルターは偶数番号に良さを発揮するといわれている噂を少しだけ信じてしまうのです、何度聴き返しても。

最後に、私にとってワルターによって指揮されたものでなければならない作品を記し、ワルターが大好きである事を述べて締めくくります。

ブラームス/交響曲第2番(コロンビア交響楽団、ニューヨーク・フィルとのモノラル録音含む)、同じく第4番
マーラー/交響曲第1番「巨人」、「大地の歌」
モーツァルト 交響曲第40番
これらの作品の演奏はワルター無しでは考えられません。
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コメント

コメント(2)
よしな
Re:ブルーノ・ワルター
アルトゥール様、こんばんは。
いつも大変お世話になっております。

ワルターの演奏、確かに最初の方が長めでした。
私の生まれる前、指揮者たちはとても強い個性を持ち、カリスマさえ感じさせて聴き手の心に焼き付けられるものがあり、それに強く惹きつけられるようになりました。

ピリオド演奏が当たり前になり、モダン・オーケストラでも小編成がベートーヴェンのスタンダードになりましたが、それでも重量級のベートーヴェンの魅力はとても大きなものだと信じて疑いません。

こうして音楽は時代を超えて価値観が共有できる喜びがあり、大先輩とお話をさせて頂ける事が出来て嬉しいです。
トスカニーニもワルターも未来永劫色褪せず好まれると信じています。

素敵なコメント、そして詳しい事をお教えくださいましてありがとうございます。
心より感謝を込めて。よしな

よしな

2020/04/09 URL 編集返信

ブルーノ・ワルター
よしな様
こんばんは。いつもお世話になります。
ワルターの「運命」というと、「ジャジャジャジャーン、ジャジャジャジャーン」の最初のジャーンの方が長いことで有名な録音ですよね。
私はワルターはここ15年、20年もまともに聴いていないのですが、今から思うと、仰るように端正で温もりのある、上品な演奏だったように思います。
最近流行りの軽量級の演奏よりも、ワルターやトスカニーニのような昔の指揮者の方が興味があります。幸いワルターのコロンビア響時代の録音はかなりの数買い揃えていたので、引っ張り出して聴いてみようかと思います。

アルトゥール

2020/04/08 URL 編集返信

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