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私にとってこの演奏でなければならない理由(12)/フルート協奏曲 ヘ長調 作品10-5 RV.434 第2楽章: Largo e cantabile

大きなまとまりの曲集、或いは交響曲などの中でも、この楽章が特別好きで心が反応してしまうというものを誰しも持っているのではないでしょうか。

そういったものが段々と増えて来るのですが、そんな中でも絶対外せない特別と言えるものも存在すると思うのです。

ヴィヴァルディのフルート協奏曲 op.10は「海の嵐」、「夜」、「ごしきひわ」など表題の付く最初の3曲はカップリングという形でよく見かけますが、後半の3曲は協奏曲集として買わないと案外聴かれないのかも知れません。

その中で第5番の第2楽章は私にとって外せない特別なものであり、その中でもピリオドのブリュッヘン、モダンのパユという大御所の演奏でも感じられない特別があります。
それは単に最初に衝撃を受けたというものではない理由がきちんと存在するのです。

※各アルバムに張り付けてあるバラ飾りは"Oberholster VenitaによるPixabayからの画像"を使用させていただいてます。



SEON BOX31
フランス・ブリュッヘン(Recorder/Fl-Tra/指揮)/18世紀オーケストラ・メンバー (1979年1月録音)

かなり低いピッチのピリオド演奏による第5番の第2楽章で、Largo e cantabileの性格上それが最も相応しいように思えるのですが、ヴィヴァルディ特有の響き、即ち情景的なものや風に漂うような感覚的なものが、この演奏では恐ろしく整理されて取り払われた客観性があります。

それを素晴らしいと感じる反面、聴くに楽しく、ヴィヴァルディとして物足りないと思う2つが葛藤するのも事実です。


パユ/ヴィヴァルディ
エマニュエル・パユ(Fl)/リチャード・トネッティ指揮/オーストラリア室内管弦楽団 (2005年7月16-18日録音)

開始をブリュッヘン盤ではヴィオールが受け持っていました。
パユ盤では最初からフルートが主旋律を奏でます。
つまり、この協奏曲の楽器編成はここに記した3枚の全てでそれぞれの解釈により選択されている事になります。

そして、その響きこそが作品の感覚というものとなって、今回の私の好みというものになったのだと分かったのです。

それは逆に聴き手の数だけ好みの盤があるという事であり、単に演奏の速度や精度などで説明できないのが音楽なのだと気付かされます。


CC79
オイゲン・ドゥヴィエ指揮/カメラータ・ロマーナ (℗1997)

弦楽合奏で開始され、フルートが物思うように入って来るこの感覚は何でしょう・・。
他の盤がドローンのように背景で重いリズムを刻むのに対し、ここでは協奏曲というようにフルートと共にカンタービレを奏でるように感じます。

そして、この重心の低いLargo e cantabileにはそこはかとない切なさが吹き抜け、これがいつでも聴ける事に喜びを覚える・・、そのような演奏と記せば伝わるでしょうか。

[あとがき」
時々感じる事があります、大ヴィルトゥオーゾによる弾き込まれ、サービス精神に溢れる演奏に恣意性が(客観性や主観性に関係なく瞬間の音にという意味ですが)感じられた瞬間に作品のイメージと違うものを覚える事が時にあるのです。

逆に名の知れない演奏家が、誠実に1音1音に取り組む演奏に、驚くような曲自身の本質を感じる事もあります。

もしかすると、上質の演奏=心に響く演奏では決してないと私自身は信じるのですが、大ヴィルトゥオーゾがのめり込んだ時のオーラで全てを跳ね返すような異次元が確かに存在する事も知っていて、一期一会の演奏というものに捉えどころのない未知の力が作用しているようにも感じます。
ですから同じ演奏家による同作品演奏の違いも聴き手は敏感に感じるのだと思うのです。
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